|
【３】 「言っとくけどな……」 終南山に着いた赤精子は、開口一番そう切り出す。 「俺はまだ、貴様の企みに荷担すると決めた訳じゃねぇからな。とりあえず……話だけでも聞こうと思ってな…」 「それでもいいよ」 雲中子は、何か思う所があるらしく、一人でニヤついていた。まあそれも、いつもの事なので、赤精子は放っておく。 「ねえ、あの二人が、上手く行くと思うかい？」 自分が受けた仕打ちは忘れたかのように、雲中子は丁寧に、お茶とお茶菓子を彼の前に出し、話を切りだした。 「……」 警戒したようにそれらに手を付けない赤精子を笑うように、雲中子は、同じ急須から注いだお茶を、美味そうに飲む。 「私はね……あの時は太乙が、玉鼎がいいって…言ったから、身を引いたんだ。けど、実のところ、私は諦めちゃいないんだよ」 「……」 「君と、同様にね」 雲中子の話を聞きながら、赤精子は大丈夫そうなので、湯飲みに手を伸ばした。 「君だって、太乙の言葉に、確信を持ったはずだ。あの二人には、まだ割り込む余地があるって…」 「…それで」 悔しいが、赤精子の言う事は最もだった。確かに、あの二人のすれ違う思いは、二人の関係に決定的な亀裂を、生じかねない。しかも、セックスレスで……。勿論、両方がそれでいいと言うのなら、構わないのだが、太乙自身は望んでいるのだ。しかも、それを言い出せないと言うのも、また深刻な気がする。 「そりゃ…太乙は、玉鼎を好きだったかも知れないけど、つきあい始めれば色々、あるだろう？例えば……」 赤精子が自分の話に乗ってきたのを感じると、雲中子の舌は、更に滑らかになる。 「玉鼎が、見たとおりの誠実な者とは、限らない……」 「言葉を返す様だが、俺は、奴程真面目な仙人は……あまり知らねぇぞ」 雲中子の言いように、赤精子は眉を上げ、口を挟む。実際、玉鼎は生真面目で、浮気をするような事は、考えも付かない。 「だからだよ。もし、そう、周りが思っている玉鼎の不貞が、明るみに出たら？」 「……まさか。奴の…噂でも…流す気か？」 赤精子は、雲中子の言わんとしている事が解った。雲中子は、玉鼎を、罠に掛けようとしているのだ。赤精子は、持っていた湯飲みを、静かに置いた。 「そんな、決定的場面を、太乙が見たら、そりゃあ…悲しむだろうねぇ」 目の前の彼の様子に頓着もせず、雲中子はしゃべり続ける。 「別に……ものすごく、決定的な場面じゃなくてもいいさ。確かに、噂を流すのもいいかも知れないな。あの調子じゃ、太乙は、玉鼎に面と向かって、聞けないだろうからねぇ。太乙が、玉鼎に疑いを持ちさえすれば、いいんだから」 「……貴様」 前触れもなく、雲中子の目の前の茶碗が、二つに割れた。 「俺は、そんな姑息な計画には、荷担せん。やりたきゃ、一人でやるんだな。だが実行してみろ。その時は、貴様もこの茶碗と、同じ運命になると思えっ」 抜いた剣をしまいつつ、赤精子は足早にその場を去っていった。 「まあ、君の反応は…折り込み済みだったけどね」 さして、気落ちした様子もなく、雲中子はつぶやいた。 「けれども、君は聞いてしまった。それは…事実だからねぇ」 雲中子は相変わらず、不敵な笑みを浮かべる。 「畜生！」 何となく胸くそ悪いという表現がぴったりの状態で、赤精子は自分の洞府に戻ってきた。 日は既に傾いており、そろそろ星が見え始める頃だった。 「赤精子ぃーー！」 だがそこに、聞き慣れた声が聞こえた。それは、午前中、一度は別れた太乙だった。 「太乙……あ、あの」 赤精子は、皆まで言えなかった。太乙がすごい勢いでこちらに向かって来、そのまま自分に抱きついたからだ。 「ど、どうしたんだ？」 赤精子は、そう言うのが精一杯だった。 「赤精…子ぃ……」 太乙は赤精子を見上げ、目には涙を滲ませていた。 「ともかく…中へ入ろう…」 赤精子はこういう状況には慣れてない。いきなりな事にまさか抱き返す事も出来ず、彼の肩を抱き、自分の洞府に連れて行った。 「え、えと……お茶でいいか？」 太乙をソファに座らせ、赤精子は台所に向かおうとする。が、服が引っ張られるのを感じ、いやな予感と共に振り返ると、やはり、太乙が自分の服の端を掴んでいた。 「赤精子……やっぱり…私って…魅力がないんだ」 「太乙」 赤精子は何と言葉を掛けていいか解らない。きっと太乙の事だ。あの後玉鼎の所に行ったのだろう。そして、そこで何かがあったに違いなかった。 「玉鼎は……他の…道士なら……」 「それは……」 赤精子は、そんな事がある訳がないと思った。玉鼎に限って……。 「私……見ちゃったんだよー。玉鼎が…他の仙人と……キスしてる所。わ、私には…全然なのに…」 そこまで言うと、太乙はさめざめと泣き出した。 赤精子は、先程雲中子が持ち出した悪巧みを思い出した。だが、その話をしたのは、ついさっきだ。すぐに、彼が行動を起こすとも、思えない。つまりは……。 「……玉鼎の奴……」 赤精子は、怒りがこみ上げるのを感じた。 彼が、そんないい加減な男だとは、思わなかった。これは一言言ってやらねばならない。 だが、そう思って立ち上がろうとした赤精子は、当然、もう一度ソファに引き戻された。 「…赤精子。私……」 太乙が、掴んだ手を見つめた。 そのまま、視線を彼の顔に移す。 （ま、まづい……） 太乙の、悲しそうな表情から、赤精子は目が離せなくなってしまった。 続く |