子守歌にもならない＊ドアを開けたそこには、予想通りに東海道新幹線が座っていて、山積みの書類に目を通していた。 「……東海道」 邪魔をしたくはないのだが、声を掛けなければ始まらないし、結局この後、思い切り邪魔をすることになるのだから、同じ事か。 「……何の用だ、山陽？見ての通り、私は忙しいんだが…」 予想通りの答え。勿論視線を上げることなどなく…。 「お前……何時寝た？」 無駄な会話をしたら、怒られそうで、山陽は単刀直入に聞いた。 「……昨日…かな」 ちょっとだけ考える振りをして答えると、東海道はそのまま仕事を続ける。 「昨日の何時だよ？」 「覚えてないし、それがどうかしたのか？」 「…Ｊｒが、心配している」 「だったら、奴が来ればいい」 覚悟していたとはいえ、かなりご機嫌斜めだ。 「やっぱ……怒ってる？」 「何の話しだ？……何をする！」 気が付けば、山陽は東海道が座る机の前に立っていて、彼が見ている書類を取り上げた。 「お前が怒るのも、解るけどさぁ」 山陽を見上げた東海道は、思いっきり不機嫌な表情だった。山陽は、その視線から逃れるように、取り上げた書類を見た。 「ダイヤの見直し？後は…」 「車両の見直しと、新規キャンペーン……そんなところだろう…」 諦めたような東海道の表情に、山陽は済まなそうな顔をした。
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「貴様は良いよな。一兆円弱…」「それは…悪いと思ってるよ。でも…」 「…解っている。割り当てはは妥当だし、こんなに上がったのは…」 先日決まった、新幹線保有機構からの買い取り価格に、東海道は目眩を覚えた。五兆円を超す金額。本来はもう少し下の筈だったのだが、政府の思惑で、全体の金額が一兆円も引き上げられた。それを、それぞれの資産で分割したら、こうなった。因みに、山陽は一兆円弱だ。 「気持ちはわかるけどさぁ。きちんと寝ないと、いい仕事は出来ないよ？」 「別に…返せない金額ではない」 五兆越えの借金を背負ったというのに、言い切る東海道は凄い。自分は、その五分の一でさえ、途方に暮れたのに。 ただ、持ち前の楽天気質からか、何とかなるとは思っている。不安はあるだろうが、東海道だって、東北新幹線たちの前でも、自分がこれだけ引き受けるからと、胸を張っていたはずではないのか。 「そんな事は解っている。ただ…想像してしまうから…」 「え？」 「誰も…乗らなくなって、資金が足りなくなって…そして…」 「東海道！バカなことをっ」 慌てて、山陽は東海道の言葉を遮る。 「…誰も、保証してくれる訳では、ないじゃないかっ。この国だって、いつ…」 「東海道…それは」 彼が、民営化に至る、経営難だけに、怯えてるわけでもなさそうで、それが何なのかは、山陽には解りかねた。時々、こんな風に気弱になる彼を、山陽は黙って抱きしめる。 「解ったから。もう、休め。な？」 少し腰を屈めて、抱きしめた東海道の背中を叩いてやる。 「寝れない…んだ」 「……え？」 「それとも…貴様が…何とかしてくれるのか？」 東海道の言いたいことは解る。意地悪そうな瞳で、自分を見上げる彼は、では、山陽がその期待に応えたとして、果たして満足するのか？ 「えーっと」 「…冗談だ。もういい、出て行け…」 抱きしめた山陽を、東海道は押し戻そうとした。が、珍しく、山陽は抵抗する。 「離せ…」 「このまま離したら、お前、また仕事するだろう？」 「もう、やめるから」 「信用できない」 「…貴様」 「お前が、きちんと部屋に戻って…ベッドに入るのを見届けるまで、オレ…帰れないんだよ」 「それは、弟に言われたからか？」 「うーん。そうだって言いたいところだけど…」 山陽は、答えに窮する。実際Ｊｒは、そう言うことは言わない。言えるわけもない。彼としては、自分に兄の面倒を頼むのも、嫌なはずだ。 ただ、先程会ったときに、『兄が心配だ』とつぶやいた言葉は、彼の精一杯のＳＯＳだった。 自分が何を言っても、東海道新幹線は聞かないのだと、嘆いていた。以前、山陽が兄を何とか出来たと聞いて、ひどく驚いていた。 「言われちゃいないよ。ただ心配していたし…」 「それは聞いた」 「オレも、心配なんだけど」 「……」 何かを諦めた様に、東海道は、山陽の手を押しのけるようにしながら、立ちあがる。 「…危ないっ」 だが、上手く立ちあがれなかった東海道は、そのままよろけて、結局山陽の腕の中に収まった。 「やっぱり…寝たほうがいい」 「……じゃあ…貴様が忘れさせてくれ。そうしたら、寝られるかも…しれないな」 「…うん」 山陽は、覚悟を決めた。 と言っても、頭の片隅で、とても面倒なことになったなと、山陽は溜息を吐いた。 東海道を抱くのはやっかいだ。満足させるのは、それ以上にやっかいだ。 今まで、何度も彼を抱いて、山陽の中に出来上がった、ルール。無理矢理はダメだとか、痛くしてはいけないとか。そんな細かなことの一つ一つを、律儀に守っている自分もエライと思う。東海道には、『それが、サービスという物だ』と言われたが、サービスをしている気はないのだという反論は、そのまま一睨みで封殺された。 ただ、それでも彼を抱くのは、結局彼を抱きたい自分が居るからだ。最初に成り行きでそうなったとき、案外に良かったと思う自分がいて、山陽は頭を抱えた。自分は、実はこっちの嗜好があったのかと、真剣に悩んだが、男なら誰でも良いわけでもなく、見目の良い他の在来とかにも、そう言う興味はわかず、純粋に東海道が良かったのだという結論に至ったときは、己を呪いたい気がした。 考えれば、誰彼にもなく偉そうで、およそかわいげのある態度をとらない彼が、自分の前で“あんなこと”をするのだ。これがツンデレとか言うのにやられた、男の末路かと思うと、山陽は自分の馬鹿さ加減に呆れつつも、よしよしと、自分を慰めてやりたい気分になる。 「え…っと」 その割りに、東海道は自分の腕の中で、今にも寝てしまいそうで、出来ればこのまま寝てくれれば良いのにと、山陽は思う。 「どうした？」 自分を見上げる瞳は、疲れて眠いのか、いつものキツさがない。それにドキリとしている自分は、処置無しだった。 触れた唇は、少し冷たくて、何時も通り軟らかくて。吐息と共に軽く開いたそれに、更に深く口付けた。 これもまた、いつもの手順。 本当は、東海道が嫌がるのだが、その表情を確かめようと、山陽はうっすらと目を開けた。うっとりと山陽に唇を許す東海道は、その伏せた睫毛がゆるく震えていて、くらくらする。 舌先で突くと、おずおすと唇を開けた。そのまま、内部まで犯すと、東海道が背中に回した手に、力がこもった。 「東海道…」 キスだけでいきそうな、甘い表情の彼の、耳元で名前を呼ぶ。 「どうする？」 「え？」 「立ったままやる？それとも…」 意地悪そうに、視線をやれば、東海道の執務室にあるソファが見えた。 「…どっちも嫌なら、このまま…抱きあげて連れてっても、いいけどね」 山陽の言葉は、冗談ではない。この身長差と体重差。やろうと思えば、出来るのだ。 「どっちでも…構わん」 「…そんな事言うなら、お前が一番嫌がる方法で、するけど？」 少し、意地悪く言ってみた。が、言ったところで、本当にそんな事など、出来るはずもない。精々立ったままやるくらいか。 「やれる物なら、やってみろ」 案の定、東海道はきつい目で、山陽を挑発する。 「……お前ね」 やったら、泣くくせに。 「貴様は、私が何故……許しているか、解っていないのか？」 上から目線の女王様気質に、泣かせてやろうかと思ったことは数知れず。 「……あ〜」 「お前だからだ」 声も、凄く眠そうで、そのくせ意識を手放そうとしない東海道を、山陽は見つめる。 「他の誰でもない。貴様…だから……」 東海道が言いたいことは、山陽にも解る。あれ程兄を慕っているＪｒには、一切“そう言うこと”は、許していないらしい。まあ、常識人で頭の固い東海道らしい、兄弟では…と言うことなのだろうが。 「解ったら…さっさと……」 東海道は、山陽の肩に頭を預ける。 「…さっさと、連れて行け」 そう言って、東海道が指したのは、彼の執務室の隣。確か、控えの部屋で仮眠用のベッドもあったはずだ。 「じゃあ、遠慮なく…」 「何を…する！」 『よっ』っと声を掛けて、山陽は東海道を抱き上げた。それも、お姫様抱っこ…の形で。 「山陽！…貴様」 「やってみろって、言ったじゃん」 東海道は、こういう風に、体格差を思わせるような扱いは、嫌がった。だから、山陽も、力ずくで、彼をどうにかすると言うことは、絶対にしない。ただ今は、この位しないと、らちが明かない気がした。 「山陽…」 暴れても危ないのは解っているので、東海道は諦めたらしい。 「タマには、甘えなさい」 「誰がだ？」 「眠いんでしょ？」 「……」 「本当は、動きたくない…んじゃないの？お前…」 「ふん。……何故解った？」 「山陽さんはね、東海道のことなら、何でも解るのよ」 「嘘を吐け」 言葉は辛辣だが、東海道は落ちないように、山陽の首に腕を回す。 「ははは…でも、今は…」 そんな会話の間に、山陽はドアを開けて、ベッドの側に立っていた。 「とにかく、お前が眠いってのだけは、解る」 東海道をベッドの上に座らせ、靴を脱がし、さて…と思えば、そのまま彼は横に倒れていた。 「山陽…」 「もういいから、寝なさい」 「側に居ろ…」 「解りましたよ」 「お前が、一緒なら…」 東海道が伸ばした手を、そっと握った。 「何とかなる…気がする…」 「……うん」 山陽は、東海道の頭をそっと撫でた。彼は、既に夢の中にいて、普段絶対見られない東海道の可愛い姿に、口元がほころんだ。 |
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脚注 |