夢の翼

＊

「東海道が、恋をしている」
　そう、誰ともなく囁かれるようになった。東海道とは、東海道新幹線のことである。
　溜息を吐く、物思いに耽る。仕事中、決して気を散らすことなどなかった彼が、ぼんやりして、山陽新幹線に声を掛けられること、数度。
　高速鉄道達が、そう結論づけるまでに、時間はかからなかった。

「……オレはどうなるのよ」
　事情を知っているJrに、山陽は愚痴をこぼしたが、こぼされる東海道本線の方は、冷たかった。
「そう言うなら、それ以前に、僕はあなたと兄さんとの仲、良くは思っていないんですけど…」
「は…ははは……」
　それについては、山陽は弁解できない。
「で……知らないかい？」
　真剣な表情で、山陽は聞く。
「思い当たりませんね」
「……本当？」
「知っていたら、今回ばかりは、あなたに言いますよ。僕の知らない、どこの馬の骨とも解らない路線と、兄さんがどうこうなるより、あなたの方がマシです」
「……マシ…ね」
「少なくとも、貴方は兄さんに、非道いことはしないでしょう？」
　何よりも兄が一番…と言う東海道本線にしてみれば、当然の解答だ。
「…ひどい事されてんのは、オレ…」
「それは、いいんです」
「……」

「でも、本当に誰なんでしょう？」
「Jrでも、見当がつかないか…」
　東海道が走っている、東京から新大阪。そして、直通の博多まで。特に、思い当たるような在来はいない。高速鉄道の中に、いるとも思えない。


＊
「山陽…」
　執務室に戻れば、パソコンを見ていた東海道が、声を掛ける。
「…ん、なぁに？」
「昼食…一緒に食べないか？」
「……え？」
「運行の方は一段落している。丁度休息だろう？」
「…え？えーっと……」
「……嫌なら良いが」
　冷たく言って、東海道が立ちあがる。
「あ、行きます。行くから…えーっと」
「……どこでも良いか？」
「あ、うん。じゃあ。ちょっと行ってくるわ〜」
　山陽は、執務室に残っていた他の高速鉄道達に、声を掛け、東海道の後を付いていく。


「あれは…どうなんだ？」
　ドアが閉まる音を聞いてから、東北新幹線が、誰となく聞く。
「僕たちの、勘違いなのかなぁ…」
　案外常識人の、秋田は困惑した声を出す。
「いいんじゃない。本人達の問題だし。運行に支障がなければ…」
　何時仕事をしているのか。相変わらずソファで雑誌を読んでいた上越は、気のなさそうに言った。
「だども…東海道は…てぼっこだべ、浮気なんで…」
「不器用だから、隠せないだけかもよ〜」
「……浮気と決まったわけじゃないじゃないか」
「でも、東海道の…あの感じは…」
「うーん」
　高速鉄道達は、揃って首を傾げたのだった。


＊
「あの…さぁ」
　東海道が連れてきたのは、東京駅から少し離れた銀座。一度食べてみたかったと、洋食屋の扉をくぐった。
「なかなか、来る時間がなくてな…」
　嬉しそうに、御飯でビーフシチューをつつく東海道を、山陽は、不思議そうな表情で見つめる。
「何だ？」
「最近…その……何か…良いことでもあるのか？」
「……え？」
　東海道の、顔色が変わる。大体、今までこんなしゃれた所に誘ってくれるなど、なかったことだ。それはまるで、浮気した夫が、妻に気を遣っている様ではないか。
「いや……その、それは…」
　言い淀む東海道に、山陽は軽く溜息を吐いた。
「あ、いや。山陽、お前にも…近い内に……話せ…あ、いや、そうでなく……」
　既に、東海道の返事は、体をなしていない。何かを言いかけ、それを否定し、ドツボにはまるが如く。
「その……山陽。今夜暇か？」
「はぁ〜？」
　あまりの唐突な申し出に、山陽は変な声を出す。頭の中では『そんな事で、誤魔化す気か！？』という、怒りが湧いていたのだが。
「……駄目か？今日は…時間が取れたのだが…」
　決して見せない、はにかんだ表情。Jrが見たら、気絶しそうだ。
　そして、山陽は自分の欲望に負けた。


＊

「はぁ〜」
　次の日。廊下で溜息を吐く山陽がいた。悲しいことに、昨日を思い出しての“幸せ”の溜息だったので、案外質が悪い。
　はっきり言って、昨日は凄かった。自分から誘った東海道の“何か”に、すっかりやられた。とても言えないようなその内容は、山陽は疑惑をより深くした。
　朝、自分より早くに起きた東海道は、先に出ていった。実は、寝たふりをしていたのだが、なんと“行ってきますのキス”までされてしまったのだ。浮かれている東海道は、はっきり言って恐い。


＊
「諦めたら、どうですか？」
　その朝、東海道本線と会った山陽は、人気のないところで、彼に相談する。が、東海道本線の、冷たい言いように、山陽は項垂れた。
「まあ……お二人が、良い相棒だと言うことが、なくなる訳じゃないですし…」
「そりゃ、そうだけどね」

　最初に会った時の印象は最悪だった。初対面の時、出した手さえ握ってもらえなかった。
　それは、東海道が“同僚”と言う物に、怯えていたのだと、今は解る。それを、彼が怯えないように、気に染まぬ事はしないように。そうやって、ここまで持ってきたのに。

「兄さんの幸せさえ保証されれば、僕は何でも良いです」
　全然良くなさそうに、Jrは答えた。
　それでも。Jrは兄が望むなら、それを実現するために、全力を尽くすであろう。

　考えれば、勝手に彼に欲情したのは自分。手を出したのも自分。東海道の方から、求められたことなど、ほとんどない。それが昨日のあれだ。
　それだけでも、良しとしなければならないのだろう。
　彼が、例え他の誰かでも、東海道自ら欲したのだとすれば、ここまで付き合わせてしまった自分は、引くべきなのだろうか。


＊
「東海…」
　夕方。自分達の執務室に戻った山陽はそこに一人、何かの書類を見て笑っている東海道を見つけた。
「あ……山陽」
　東海道はあわててその書類を、机の引き出しにしまう。
　一瞬。山陽は、目の前が、真っ赤に染まった…気がした。
「何を…」
　その先が、言葉にならない。出来るだけ冷静に聞こうと、無理矢理出した声は、かなり低かった。
「…山陽？」
　流石に、山陽の様子に気が付いた東海道は、彼を見つめ、戸惑った表情になる。
「いや…その、これは……」
「俺には、見せられない物？」
「……それは…その」
　その躊躇が、命取りだった。
　気が付けば、目の前に山陽がいた。
「そんなに、そいつが、いいのかよ」
「…それは、当然だ」
　何を言っているのか。東海道は顔をしかめた。
「渡さない」
「…え？」
　つぶやくような、言葉の真意がわからなかった。聞き返した東海道の肩が、山陽に掴まれ、乱暴に口付けをされる。
「……ー！」
　驚いて、見開いたままの東海道の目に映るのは、獣じみた山陽の瞳。何が起こったか、解らない。山陽の言葉の意味も解らない。
　東海道の息が苦しくなる頃、やっと山陽が離れる。が、あまりの事に、東海道はただ息を整えるのが精一杯だった。
「…わたさ…ない」
「だから、何っ！」
　東海道の疑問は、答えられる事はなかった。山陽にきつく抱きしめられ、もう一度唇を塞がれた。今度は、少し余裕が出たのか、山陽に深く口付けされながらも、東海道は考える。先程、見ていた物で、山陽は逆上したのだ。それを見せてやれば、まずはこのわけの解らない誤解は解けるだろう。
「……はな…せ」
　無駄だと思いながら、何とか離した唇で言ってみる。山陽に抱きしめられていて、引き出しに手を伸ばす事も出来ない。
「山陽…」
　今は、他の東日本の連中は、それぞれの路線に散っている。戻って来て、見つかる危険はないが、この暴走した山陽を止めてくれる事もないのだ。

「いい加減に…」
　きつい口調で言っても、山陽は東海道を離さなかった。
「誰なんだ？」
「……誰って…」
「相手は誰だ？」
　東海道は瞑目した。いずれにしても、先程の書類が引き金なのだから、それを見せてやれば、解決の糸口にはなるだろう。文句を言うにしても、山陽が何を勘違いしているかも、わからないのでは、言いようがない。
　そっと、山陽の手を外す。東海道は先程しまった書類を取り出して、山陽の目の前に突きつけた。
「リニアだ」
「……へ？」
「リニア新幹線の、今後の実験スケジュールだ！今年中に世界最高速レコードを打ち立てる」
　誇らしげな東海道は、山陽にその計画書を突きつける。
「他社には内緒だったんだ。我が社のトップシークレットだぞ。言えるかっ」
「え、あ……あ」
　へなへなと、山陽はその場にへたり込んだ。
「…リ…ニア」
　そりゃあ、Jrも言えないはずだ。
「貴様は、何だと思っていたのだっ！」
　東海道の怒りは、もっともだ。
　まあ、山陽にも言い分はある。他の高速鉄道達だって、勘違いをしたのだ。山陽が気を揉んだとしても、責められないだろう。
「……良かった。浮気じゃなくて」
　その、安堵した山陽の言葉に、東海道は、眉をつり上げる。
「浮気…？私が…か？」
　東海道の瞳に、怒りが浮かび、次に、涙が溜まっていった。
「え…あの」
「山陽の、バカ！」
　次の瞬間。山陽は星を見た気がした。そして、自分が吹っ飛ばされるのを感じ、壁に激突した。
　山陽は、そのまま気を失った。


＊
「……よう、山陽…さん」
　聞き慣れた、苛立った声に、山陽は目をこじ開ける。そこには見知った顔があった。
「気が付きましたか？」
「山陽！！」
　Jrと入れ替えに、とてつもなく心配そうな泣き顔が見えた。
「とう…かい…道……」
「頭も大丈夫なようです。兄さんは、早く行って下さい」
「…あ、でも」
「大丈夫です。何かあったら、連絡します。これ以上運行に、支障が出ない内に…」
「解った。じゃあ……」
　痛む身体を庇いながら、山陽が起き上がれば、急いでドアを出て行く東海道の後ろ姿が見えた。
　ドアが、執務室のそれと違い、自分がベッドに寝ているのを確認して、二人が医務室に運んでくれたことを、山陽は理解した。
「……大丈夫ですか？」
　いたわりのかけらもない声で、Jrが聞く。
　怒っている。凄く、怒っている。
「オレ…は？」
「兄さんに、一発殴られて、気絶したようですね。兄さんが…泣きながら電話してきて、駆けつけたら、あなたが伸びてました」
　東の高速列車の連中は今はいないから、東海道は、頼りになる弟に、助けを求めたという訳か。
「え…あの……」
「よくも、兄さんを、泣かせましたね」
　イヤ、殴られて気絶して、酷い目にあったのは自分だ。だが、山陽の抗議は多分聞き入れられないだろう。
「どうして、こうなったんですか？昨日は…」
　Jrは、一瞬黙る。とてつもなく、忌々しそうな表情で、続きを言った。
「昨日は、兄さんと一緒だったそうじゃないですか」
「え……え、何で…」
　バレている？
「…先程、散々……兄さんに、ノロケられましたから」
　惚気る？あの東海道が？ありえないJrの言葉だったが、彼の態度から、それは事実だったのだろう。どんな風にか知りたい気もするが、そんな事は恐ろしくて聞けない。


　仕方なく、山陽は執務室で起こった事を話した。Jr曰く、兄の語ることでは、要領を得なかったのだという。
「リニア？ああ、兄さんの上の空の原因…ですね」
　その口調は、実は解っていたんじゃないかと、山陽は懐疑的になった。
「Jrだって、言ってくれれば…」
　仕方がないので、これが精一杯の嫌味だ。
「あんな事で、あなたが誤解してるなんて、思いもしませんでした」
　Jrとて、山陽の言うことに思い当たったのは、今日の午後なのだ。解ったところで、教えてやったかは疑問だが、その前にこの事故が起こった。
「良かったじゃないですか。疑問が解けて…」
　ただ、兄の方は、時間がかかりそうだと、Jrは溜息を吐く。


「……東海道は？」
　やっと余裕が出来た山陽が、東海道新幹線の事を心配した。
「兄さんは、業務に戻りましたよ」
「あ、そ、そうか」
「因みに、あなたの路線で起こった遅延を、兄さんが頑張って取り戻してますから」
「う〜〜あ、じゃあ、オレも…い、痛い…」
　ベッドから降りようとした山陽は、痛さに顔をしかめる。
「……何で東海道、あんなに強いの？」
　今まで、殴られたことはあったが、こんなに凄いのは初めてだった。
「兄さんは、強いですよ。あなたと違って…」
「……う」
　自分が、喧嘩に弱いことは、悲しいが自覚しているので、山陽に反論の余地はない。が、東海道が強いなどというのは、初耳だ。
「兄さんは、速くて正確ですからね。力任せのあなたよりは…余程……。僕だって、本気になった兄とは、争おうなんて思いませんよ」
　この、日本鉄道の祖。東海道本線が言うのだから、本当なのだろう。

「まあ、二ヶ月は、口きいてもらえないんじゃないですか？」
　楽しそうに、Jrが言う。あの、東海道の怒り方。そして、非は全て、自分にあることになりそうだった。
「早く行った方が良いですよ。兄さんに、孤軍奮闘させる気ですか？」
「あ……わかった」
　まだ痛そうな顔をしながら、山陽は医務室を出て行った。

『山陽上官が、そちらに向かいました。反省しているようですからお手柔らかに。まあ、後できっと色々奢ってくれるかも知れませんよ』
　そう、メールを一本打って、東海道本線は溜息を吐く。
「オレって…親切だよな〜」
　本当に、手間のかかる兄を持ったと…Jrは、そっと笑った。

1997年くらいの話し(^_^;








Jrが小姑のようでごめんなさい。
でも、Jrは解ってるんだよ。でも、意地悪もしたくなるんだよ。
ブラコンだからね。



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