記憶

＊

「……ああ、良かった、会えたな」
　横浜の自分のホームに降り立つと、突然声をかけられた。その声に振り向いた横須賀は、あまり馴染みのない顔を見つけた。
「…えっと」
「東横だ」
「おお…」
　あまり、自分の会社以外に興味のない横須賀は、先日会ったばかりだというのに、東横の顔を覚えていなかった。いや、もう長いことこの横浜で見ているのだから、顔を覚えていないと言う事はないはずだが。それが本当なら、余程興味がないのだろう。
「何の用だ？この間の、文句でもあるのか？」
　先日、横浜への五社直通に、東海道本線と横須賀が、連れだって偵察に行った。
　その時は、副都心線と東海道本線が、表面は穏やかな“あいさつ”で、火花を散らせたのだった。
「文句…はない。ただ…」
　一瞬、東横は言いにくそうに顔を背けた。
「お前の、無事な顔を…きちんと見たかっただけだ」
「……なんだ？そりゃ…」
　東横の言う意味が分からず、横須賀は顔をしかめる。彼の後ろに、SSLが入線した。

＊

「戦後、お前の所からは、ずいぶんと車両をもらったからな」
「……あ？そうだっけ？」
「うちの職員が、横須賀に行っていた」
「……忘れた」
　横須賀が、やはりそっぽを向いてそう言った。
「あの時は、ずいぶんと世話になった」
「……だったら、もう少し、遠慮したらどうなんだ」
「……何を」
「京浜が…」
　ああ、あの、水色の…と、東横は彼の姿を思い浮かべる。ここで接続しているにも関わらず、東海道と横須賀は、自分達と接触を持たない。その代わりのように、京浜東北が、自分達との交渉をする。先日の、五社直通に、あの二人が来たことの方が、驚きだった。
　が、戦中戦後の話をしていたのに、なぜ“現在”まで、飛ぶのか。
「とにかく、ここでドンパチなどやらかすなよ。やるなら向こうで…東京以北でやってくれ」
「私たちは、そんな向こうに用はない。というか、誰と誰が争うと？」
　自分たちは競合している。だが、彼の言い方は、そう言う事ではなさそうで。
「お前の所の…白い奴」
「……みなとみらいか？」
　どうも、横須賀からは、まともな固有名詞が聞かれない。自分の所だって、覚えているか怪しいものだ。
「まあ、確かに彼は、君の所の京浜東北のエリアを、おびやかしているが…」
「そういう事じゃねぇ。うちの京浜は、見た目ほど大人しくねぇぞ。あいつの方が、よっぽど怖い」
　この言葉を、東海道が聞いたら驚くだろう。彼は、横須賀が京浜東北に対して、そう言う認識でいるとは、露ほども思っていない。
「…殴りあいでもするというのか？」
「殴り合いで済めばいいがな…。みなとみらいに、お前等の指示で、あんな物を…持たせてる…訳じゃないのか？お前、気が付いてないのか？」
「何のことだ？」
　だんだん、微妙な物言いになる横須賀の真意がつかめず、東横は困惑した表情になる。彼の言い方では、彼らが抗争でもするようではないか。
　横須賀の方も、探るような表情で東横のことを見ていたが、何かに納得したように、目を逸らした。
「まあ。いいわ。とにかく白いのに、京浜を怒らせるなと伝えておけ」
「……解った」
　横須賀の言い分は解る。みなとみらいは新参者で、良くも悪くも現代っ子だ。あの、副都心線とは違う意味で、年寄りには理解できない思考回路を、披露する。この、横浜組では若そうな京浜東北でさえ、もうすぐ百年になる。解り合えないことも多そうだ。
　だが、東横はもう一つ釈然としないものがあった。たまに話す京浜東北からは、この横須賀線に関して、あまりプラスな評価を聞かない。『先輩なのに…』と言う言葉は、何回か聞いた。もちろん、その先を言う事はまずない。だがそれだけでも、京浜東北の横須賀に対する評価は、わかる。だが、今この目の前の彼は、決して彼が言うように、頼りない先輩ではない。
「…なるほど」
「何だよ？」
「君たち国鉄は、油断がならない…と言う事だ」
「…何だ、そりゃ。まあいいや、俺はもう行くぞ」

　そう言って、立ち去ろうとした横須賀が、思い出したようにこちらを向き、口を開く。
「さっきの話だが…」
「……？」
「…俺からも、礼を言う。車両たちを、蘇らせてくれて…」
「……ああ」
　忘れていたわけではない。そのことは、今話しただけでも解る。ただ、確かに、横須賀にしてみれば、思い出したくない光景だろう。フレームだけ、もしくは台車だけを残して、燃えた車両。無事だったきれいな車両は進駐軍に取られ、ぼろぼろの車両で人々を運ぶ日々。

　横須賀の車両基地で。焼け落ちて、黒こげになった車両の残骸を、黙ったまま見つめていた、彼を思いだした。
　その姿が、同じ大東急の所属だった、京急久里浜線と、かぶった。包帯を巻いて、唇を噛みしめ、立っていた彼と、瞬間目があったが、彼はそのまま立ち去っていた。
　あの時から、本当はずっと気にかかっていた。

「けど、容赦はしねぇぞ。てめぇらなんかに、負けねえ」
「楽しみにしている」
　薄い笑いを浮かべ、東横は応じる。
　久々に楽しいと思った。直通で、やっかいなことばかりと思ったが、思いがけないこともある物だ。

　階下に降りていく横須賀の背を見送り、東横も、自身の路線へ、降りていった。

ウチの横須賀さん、まともなことが多いなぁ。
で、まともなので、みなとみらいさんが、拳銃持ってるのも見抜いている。
多分、京ちゃんも見抜いている。
東海道は、どっちでも良いと思ってる。

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