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【３】 部屋に帰ると、丁度いい具合に、食事が用意され、二人とも浴衣姿で、席に着いた。 そうでなくとも、先ほどからの太乙の姿に、玉鼎は当てられっぱなしだった。今も、あわせの開いた状態で、部屋着を着ている彼に、どきどきしている。 「太乙。あ……もう少し、きちんと着た方が、いいのではないか？湯冷めするぞ」 「あ、そうだね。えーっと……」 太乙は、不器用そうに、襟元を合わせる。それを玉鼎は手伝ってやった。こういう事は、太乙は相変わらず苦手で、それは以前と変わらない。 太乙がきちんと着付けると、二人は改めて席に着いた。 「わー、おいしそうだね。玉鼎、食べよう！」 食事もきちんと頼んであったので、普茶料理が並べられた。蕪をおいしく炊いたものや、冬瓜のスープなどの、野菜料理が並ぶ。 それを、幸せそうに食べる太乙を見ながら、玉鼎は苦笑する。どうして、いつも自分の前で見せる笑顔と変わらぬと言うのに、太乙の記憶はないのだろうかと。表面は変わらないが、親友と恋人では、気持ちが違うのだ。 そして、また詮無いことを考えている自分に、玉鼎はさらに苦笑した。 デザートの蓮の実餡のタピオカまんじゅうを、はふはふとおいしそうに食べていた太乙は、目の前の玉鼎が、深刻な顔をして、箸を置くのに気がついた。 「玉鼎……どうしたの？」 「……いや」 「あ、なんか…やっぱり、食欲ない…よね。ごめんね、私ばっかり、はしゃいじゃって」 「そんなことはない。それに、一番つらいのは、お前なのだから」 「……」 玉鼎の言葉に、太乙は恐縮してしまった。 その太乙を、玉鼎は一瞬、真剣な顔で見つめた。 「な、どうしたの？」 「太乙。外…出てみないか？」 「…うん……」 本当は、玉鼎は何か言いたい事があるのだろうとは思ったが、それを無理に、聞き出すわけにもいかない。太乙は、玉鼎の言葉にうなずき、彼と一緒に庭に出る。 二人が泊まっている部屋は、そのまま窓の方から、庭に出られる作りになっていた。外に出ると、さすが人里離れた山中にある宿らしく、空には目一杯の星が瞬いていた。 「…わー、ロマンチックだねー」 それでも、自分の笑顔に、玉鼎が優しく微笑むのがうれしくて、太乙は相変わらず無邪気な言葉を言ってみる。だが、玉鼎は先程の考え込むような表情をしていた。 「太乙。やはり……言っておこうと思うのだが」 「……なに？」 太乙は、今度こそどきりとして、玉鼎の方を向いた。いくら、彼がきまじめな仙人だとわかっていも、何を言い出すのかと、身構えてしまう。 「……太乙。驚かずに聞いて欲しいのだが…確かに、お前と私は…親友だと言った。それは事実だ。だが……」 玉鼎の方を向いた太乙は、緊張に両手を組み合わせ、無意識に力を入れていた。玉鼎が何を言い出すか、見当もつかなかった。 「だが……」 そう言ったまま、玉鼎はただ、太乙の瞳を見つめるだけだった。 玉鼎は、昔の事を思い出していた。 太乙を口説き落とすのに、百年かかった。実際はそれほどかかった訳ではないのだが、玉鼎は気分的に、そう感じているのである。 それを、一瞬で元に戻された。 天帝を、一発くらい殴ってくればよかった。そんな事など出来る訳はないのだが それでも、このままの状態で崑崙山に帰れば、彼の中で、自分たちはただの同僚だ。一応、原始天尊に訳は話すにしても、他の誰かから、自分たちの関係を太乙が聞いてしまうかもしれない。その時に、こんな昔の状態の彼が、どれ程驚くかを考えると、玉鼎は胸が痛んだ。 だが実は、それ以上に、この状態でいる事に、玉鼎の方が、耐えられなかった。 確かに、ここの所忙しかった。太乙の用事に便乗して企画した旅行だったが、玉鼎は思いの外、自分自身が楽しみにしていた事に、気が付いてしまった。 ただ、太乙と二人っきりで、ゆっくりしたかっただけなのに。それさえも、叶わなかった。 そして、ここに着いてからの玉鼎は、自分の思考が、どんどんとんでもない方に行きかけるのを、何とか戻し、また、考え込むという、繰り返しだった。 まあ、自分の思いは置いておいても、太乙自身の為に、本当の事を話しておいた方がいいのは、事実だ。食事をしていたときから、玉鼎は何度も逡巡した。そして、決心した末、太乙を屋外に誘ったのだ。 それでもやはり、すぐには、言い出せなかった。 「私はお前に、それ以上の感情を……持っていたんだ」 太乙は、少しだけ緊張を解き、玉鼎に不思議そうな表情を見せる。 玉鼎が、ゆっくりと息を吸い込む。 意を決して口を開いた。 「好きだ。太乙」 「……うん。私も……そう言っても、私は、まだ半日くらいの記憶しかないんだけど…好きだよ」 何を言われるのかと、身構えていた太乙は、玉鼎の言葉に破顔した。 「……そうか」 玉鼎は、困ったような表情をする。数秒、考え込むと、もう一度太乙に向き直る。 「太乙。わざわざ…友人としての親愛の情を、お前に言う為だけに、私がこんな風に、話をすると……思うか？」 「……あっ」 太乙は、玉鼎の言いたい事に、気が付いた様だった。玉鼎にしてみれば、この状態の太乙が、このテの事に気が回る事が、驚きだったが。 すると、今度は太乙が、何かを考え込む様に、数秒押し黙った。 「あの……私たちって、以前から、ただの友人だったの？」 「……？」 「そうだよね。玉鼎は、そうだって言ったものね」 「……あ…それは……」 玉鼎は、返答に詰まる。だが、ここで本当の事を言っても、太乙をよけい混乱させてしまう気がした。言うにしても、段階を踏むべきだ。まずは、自分の気持ちを太乙に伝え、彼がにその事を理解させようと思ったのだ。だから、彼の問いには、曖昧に軽く頷く。 「玉鼎……」 「な、なんだっ……」 突如、太乙の瞳が潤み、玉鼎はおたおたしてしまった。 「……ご、ごめんねーーー！」 次の瞬間。いきなり、太乙が抱きついてきて、今度は玉鼎は硬直する。 「ごめんね。昔の私って……そんな、無神経な奴だったんだ。そうだよね。天帝に殺されるかもしれないのに、私の事を助けてくれて……。きっと、昔の私も、玉鼎に色々恩を受けておきながら、ただの友達でいる様な……ひどい奴だったんだねーー。本当に、ごめん！」 「い、いや……その」 太乙が、そんな反応をするとは思ってなかった玉鼎は、当然びっくりした。それに、太乙が誤解をしている事にも。だがそれは、太乙に遠回りな事を言って、真実を告げない自分の所為だった。 「太乙……あのだな…」 どういう風に、この誤解を解けばいいかと、玉鼎は言葉に詰まる。そしてごまかす様に、遊んでいた右手を、太乙の頭に置き、そっと髪を撫でた。 「いいよ」 「……あ゛？」 「いいよ、玉鼎。君の好きにして。今まで、君を我慢させてきた、昔の私の…罪滅ぼしに……」 「太乙……」 玉鼎の手が止まる。 「そ、そりゃあ、ちょっとは怖いけど。玉鼎だったら……きっと……」 さすがに、自分の言葉に恥ずかしさを覚えたのか、太乙はそんな事を言ってみる。 その太乙の言葉を聞きながら、玉鼎は、初めて彼とキスしたときの事を、思い出していた。 「太乙は、そう言う事を…した事がないのか？」 二人で、ゆっくりと話をしていたときだった。 その日の仕事は、午前中に終わり、玉鼎に誘われるままに、彼の洞府を太乙は訪れていた。 「……あっ……う…ん。ずっと…修行だったし。仙人になってからは、宝貝の研究で……」 太乙は、恥ずかしそうに、下を向く。 「玉鼎は、そう言う事……上手そうだよねー」 自分の気まずさを隠す様に、太乙は玉鼎に切り返す。 「…そんな事はないぞ」 「そうかなー。だって、玉鼎かっこいいし……落ち着いてるし……きっと、仙女達がほっとかない…よね…」 太乙は、寂しそうに言う。 「試して…見るか？」 「……えっ？」 玉鼎は、随分と姑息で、ありきたりな手だと自分でも思ったが、もうこれ以上、待てそうになかった。 「太乙……」 玉鼎は立ち上がり、太乙の側まで来る。 「あ……」 「やり方くらい…知っているだろう？」 「も、勿論だよー」 太乙は、ちょっとした見栄で、そんな事を言う。 目を閉じた。 触れた唇は、思いの外柔らかいと、太乙は思った。 あの時でさえ、太乙は玉鼎の行為を、拒まなかったではないか。 しかし。玉鼎としては、複雑な思いだった。この状態の太乙が、自分を受け入れてくれるのはうれしい。が、実質、太乙の中では、自分と会って、まだ半日ほどしか経ってないはずなのだ。なのに、その相手に“いい”と言うのか。 自分も、随分と理不尽な事を、思っていると玉鼎は思う。しかも、太乙を自分のものにし、自分を受け入れる様に、変えたのは自分だ。 「玉鼎……本当に…私……」 ちょっと、悩み加減でうなっている玉鼎に、太乙が声をかける。 まあ、確かに、うつむき、はにかんでいる太乙は、かわいかった。 そっと、引き寄せ、顔を上げさせる。 「あ、あの。私……よく、わかって…ないし、下手かもしれないけど……」 「それは……」ないだろうと、玉鼎は思う。 太乙を、自分のものにしてからというもの、色々教え込んだ。ああいう事は、記憶はなくても、身体は覚えているものだ。 「太乙…目…閉じて」 太乙は瞳を伏せた。 そして、玉鼎の唇が、ゆっくりと降りていった。 太乙はそれを、こわごわながらも、静かに受けた。 「……あ」 離れた唇が、もう一度近づき、太乙は開けかけていた瞳を、もう一度閉じた。 玉鼎の柔らかな舌が、太乙の唇を舐め、開かせる。太乙は、自然にそれに従った。玉鼎は彼を抱きしめ、太乙の舌を、堪能した。 「あ…ん。んふ…ん……」 自然に、彼の口から、甘い声が漏れた。 太乙は、先程以上に赤くなって、離れた玉鼎を見上げた。 「……だ、大丈夫か？」 「うん……」 随分と、稚拙な訊き方をする…と、玉鼎は我ながら思った。これでは、まるで、初恋の様ではないか。 「戻ろうか？」 「うん」 太乙は玉鼎に肩を抱かれ、二人は並んで部屋に戻った。
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