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【２】 「こんにちは……雲中子」 次の日、太乙は雲中子の元に、手みやげを持って現れた。 「いらっしゃい」 迎える雲中子の表情は、心なしかいつもよりにこやかだった。 「おや、それは何だい？」 太乙が、手にしたバスケットを見つけると、雲中子は興味ありげに中身を聞いた。 「桃のお菓子と、お茶だよ。だって……」 太乙は、ちょっとばかりはにかんで見せる。 「君が…気にするような行動取れって、言ったじゃないか」 「ああ、そうだったね」 雲中子の方は、何だか素っ気ない。太乙は、釈然としないものを感じながらも、台所でお茶の用意をする。 「へー、これ美味しいねぇー。どこで買ったんだい？」 太乙に振る舞われたお菓子とお茶を食べながら、雲中子は聞いた。 「……私が、作ったんだよ」 「へー、君って、結構、器用だったんだねぇ」 雲中子の反応に、太乙は更にむっとした。こっちは、協力しろと言うから、色々考えて、更に夜遅くまで頑張ったというのに。 まあ、“恋する身”というのは、こんなものかも知れないと、諦める。だが、何故実験に協力するだけだというのに、その相手の気持ちまで、トレースしなければならないのだろう。そう考えると、太乙は先程の気分にくわえ、理不尽さまで感じてきてしまった。 「で、調子は……どう？」 「うーーん。まだ、二日目だからねぇ」 やはり、気合いの入らない調子で、雲中子は返答する。 「……なんだ。張り切って、損しちゃったかなー」 “もう少し、適当でもいいのかな”等と、太乙がぼそりと言う。 「あ、いや。そんな風に、手を抜かれると、実験に支障が出ちゃうから……」 雲中子は、慌てたように太乙に、再度お願いをした。 「解ったよ。今度から、お茶請け代も、もらおうかなぁ」 「……あのね」 太乙は、案外がっちりしていると、思い知った雲中子だった。 「ところで、君の研究の方は、どうだい？」 「あっ、それがねー、聞いてよー」 雲中子にそう水を向けられると、太乙は嬉しそうに話し出した。なんだかんだ言っても、こうやって自分の話を、きちんと興味を持って聞いてくれるのは、彼だけだった。やはり、大切な友人だと、太乙はしみじみ思う。 そうして、以前にもまして雲中子の所に足繁く通う太乙を見て、仲間の仙人達は、噂をしあった。 あれは、ただの友人関係ではないだろう…と。 まるで……。 「…えっ、何の話？」 ある日、用事で玉虚宮を訪れた太乙は、廊下で慈航道人と会い、呼び止められた。そして、彼の話に、驚いて聞き返したのだった。 「だから……さ。君と雲中子の仲が、噂になってる」 「……噂…って、私と彼は、昔から仲が良かったじゃぁないか。みんな、何で今頃、そんな事を……」 「その、君が彼の所に向かう様子が…、どう見ても……」 慈航は、彼らしくなく言いよどむ。 「……恋人の所に、会いに行くようだって……お、俺が言い出したんじゃねぇぞ」 驚きに目を見開く太乙に、慈航は慌て、いい訳をする。 「で、実のところ……どうなんだい？」 の割には、しっかり自分の好奇心は、隠さなかった。 「……どう…って」 雲中子の実験は、その内容もあるから、公にする訳には行かなかった。そのくらい、太乙でも解る。だが、自分たちの仲を、こんな風に噂にされ、誤解されるのはいやだった。 「うーん、あのね。今、彼と共同研究してるものがあってさぁ。新しい、ポリマー素材の研究で…興味があるなら、講義しようか？」 「い、いやいいよ。よく分かった」 “勉強”という文字が付きそうなものは、苦手な慈航だ。機転を利かした太乙は、そんな話をでっち上げた。最も、前半部分は真実に近い。だが、案の定、慈航は慌てたように、立ち去ってしまった。 「……困ったなぁ。雲中子に相談しなきゃ……」 太乙は、そう独り語ちると、予定を変更して、終南山に向かった。 「……と言う訳なんだけど、どうしよう」 雲中子を訪ねた太乙は、早速彼に相談した。元はと言えば、彼の実験なのだ。 「……そうだよなぁ」 雲中子も、これをおおっぴらに、言う訳にはいかない事くらい、解っている。だが本当は、雲中子にはもっと心配なことがあった。 「太乙は……」 彼らしくなく、考え込むような瞳で、太乙を見つめる。 「そう思われるのは、いやかい？」 何時にない、雲中子の真剣な瞳を見て、太乙は即答することを躊躇した。彼の実験が面白そうだと思ったのは、純粋な、研究者としての本能で、それがこんな事態を引き起こすなど、思いもしなかった。更に言うと、こんな状況など、今までに考えたことがなかったので、返答に窮してしまったのだ。 「いや……な訳じゃ…ない」 慎重に、言葉を選ぶ。太乙は太乙なりに、雲中子を傷つけないように、気を遣ったのだ。だって、彼は大切な友人だから。 「……じゃ、じゃあ、そんな…考え込むこと、ないと思うなぁ。訊いてくる輩が居たら、慈航に答えたのと、同じ事を言えばいいじゃないか」 「……だけど、じゃあ、研究の成果を見せてくれ……って、言われたら、どうするんだよー？」 太乙は、可愛く口を尖らせる。 「私たちの研究に、興味を持つなんて、原始天尊様くらいだと思うよ」 「……そうだね」 それはそれで、太乙は何となくプライドが傷ついた気もするが、現実、崑崙の連中は、自分に関係がなければ、他人が何を研究し、何を修行していようと、興味はない。あるのは、酒の肴にする、噂としての興味だけだ。 だが、太乙はそう答えたものの、そんないい訳では、みんなが納得するとは思えなかった。 「明日は、いつ頃来るかい？」 黙り込んだ太乙に、雲中子が声を掛けたので、彼はその場の思考を、停止させた。 「……何で？」 「いや。今日のお詫びに、お昼くらい振る舞うよ」 「…それって、いつもの事じゃないか」 「ははは。そう言うからには、それなりの物を、用意するよ」 相変わらず、何かを企んでいそうな笑顔で、雲中子は言った。まあ、彼のこんな態度にも慣れているので、その申し出を承諾し、明日の約束をして、太乙は終南山を出た。 「……あーあ。やっぱり…何か、面倒くさいなぁ」 太乙は、以前つぶやいた言葉を、再度言うことになった。 だが、あの時より、感覚が違うことにも、太乙は気が付いてはいた。 それは、雲中子の要求に対する面倒くささではなく、この状況を続けていく為に、払う手間に対して、そう思っているのだ。 「……雲中子は、あんな事言ってるけど、もっとましな言い訳考えておかなきゃ……なあ。どーしよー」 そう考えながら歩く太乙は、その事が、自分にどういう意味をもたらしているかまでは、考えていなかった。 |