１２

＊

「おや…早かったね」
　京浜東北が大宮に着けば、東北本線が、ホームで待ちかまえていた。
「わざわざこちらで待つなんて、ズルくないかい？」
「おや。僕としては気を利かせたつもりだけれど。東京駅で話したかったかい？」
「……とにかく、部屋に行こう」
　東北の真意は解っていた。朝の説明では、納得しないであろう事も、予測済み。他の連中が居ないことを祈りつつ部屋に行けば、意に違わず誰もいなかった。そこに書かれた予定表を見て、東北が画策したことを知る。
「で、何？朝の説明じゃ、足りなかったのかな？」
「……解ってるじゃないか」
　笑顔を見せたが、東北本線は怒っているようだった。それも、仕方ないかなと、京浜東北は思う。
「東海道上官が、かつての優等列車と揉めている。そちらの元優等列車の動向も、注意して、逐次東海道に報告をあげるように？原因も、理由も一切説明されず、あげく一方的な命令は、飲めない」
「命令…じゃ、ないよ」
　東北の言う事は尤もだと思いながらも、京浜東北は、そう言うしかない。
「Jrのお兄さんからの命令とすれば、聞かざるを得ないけどね」
　そう言っているが、もし本当にそう言う事態になったとしても、彼が言う事を聞く保証はない。
「…君の上司からなら？」
「……あの人が、“命令”だと言うなら、飲むよ」
　その前に、ひとしきり嫌みを言うけどね…と、東北は心の中で思ったが。

「君は、何を知っているんだ？全てを話してはいないだろう？」
「……さあ。僕は東海道から聞いただけだ…っ」
　いきなり、東北が京浜東北の手首を掴む。
「…痛いよ」
「答えろ…」
「それは、僕の本線としての、命令かい？」
　意地悪く返せば、東北本線は、一瞬苦い顔をする。
「どう取っても良いよ。ただ、僕としては、納得できないんだよ。色々と…」
　まあ、そうだろうなと、京浜東北も思う。自分だって、東海道の話に、全て頷ける訳ではなく、真相も見えてこない。ただそれは、東海道の方も同じ様で、もっと言えば、上官達も、事件の真意が見えていない。
「君だって、腹立たしくはないのかい？東海道は君を良い様に、使っているだけじゃないか。自分で説明しにくればいいんだよ」
　それを聞くと、京浜東北は、少し表情をゆるめた。
「東海道が、君に説明？出来る訳ないじゃないか」
　本線に詰め寄られても、動揺もしないで言い放つ。本当に可愛いげがない。そして、京浜東北が言う事も、事実だと東北は知っていた。兄の事になると、形無しになる彼はしかし、まごう事なきこの国の鉄道の始祖だ。だがいわゆる“お坊っちゃん体質”であり、自ら動かなくても良い境遇は、自分で画策するとか、ましてや、隠し事をすることには、向いていない。
「僕が、彼にそんなことを、させると思う？」
　彼に対しては、同じ本線だというのに、勿論京浜東北は、東海道の言う事しか聞かない。
「流石…東海道の犬」
「そう言う言い方は、やめてくれないかな」
「じゃあ… 番（つがい）」
「…東北」
　京浜東北の瞳が、剣呑な光を帯びるのを、東北本線は楽しそうに見返した。あれほどあからさまなのに、京浜東北はそのコトを指摘されるのを嫌う。
「…そうだろう？」
　京浜東北を壁に押しつけ、東北はもう片方の手を、壁に付け、逃げ道をふさぐ。
「違うというなら…じゃあ…僕の物になるかい？」
「何の…はなし…」
「そうしたら、君は僕の言う事を、聞くのかな」
　とても近い。このまま、不埒なことをされそうな勢いだ。
　一瞬で、京浜東北の周りの温度が、下がる。
「…それ以上、１ミリでも近づいてみろ。然るべき措置を取らしてもらう」
　京浜東北の低い声が、東北本線を押し止めた。
「……ああ、やはり君は、京浜線なんだね」
　そこに固まったまま、東北は言う。
「…わかった。今日の所は、引こう。だけど後日、必ず説明してもらうよ」
　何事もなかったように、東北本線は京浜東北から離れた。これ以上聞いても、彼は今は何もしゃべらない。

「あの…」
　流石に京浜東北も、申し訳なく思ったのか、今彼に言えることだけは、伝えようと口を開いた。
「…言っておくけど、誰も、事件の真相は見えてないと思う」
　“だから、実際言えることは少ないのだ”と、言外に含ませた。そう、彼が取ってくれるかは、難しいが。
「…それでも…列車が関係しているのは、解っているわけだ」
「だから、君にも監視してほしい。本線として…」
　これは、東海道からの、伝言だと、京浜東北は彼に配慮して、言葉を選ぶ。
「……わかった。でも……」
　東北本線は、諦観した表情で、目を伏せた。
「東北本線として、かつての部下に、馬鹿な事はさせない。断じて…」
　それを、東海道への当てつけと取るのはたやすい。が、それが東北本線としての襟持だと、京浜東北はわかっている。
　返す言葉のない京浜東北を置いて、東北本線は部屋を出た。そのまま東北は、宇都宮方面に向かった。

＊

「……困ったな」
　残された京浜東北は、東北に捕まれた手首を見て、つぶやいた。思ったより強い力で捕まれたのか、そうでなくても肌の弱い彼のそこは、赤くなっていた。
　高崎が気が付くとは思えないが、危険は避けたい。案外埼京や川越が、気が付くかもしれない。
　とりあえず気休めに、手袋をして腕時計で隠した。このまま大宮にいて、誰かに会うのは避けたい。
　何かを思いついた京浜東北は、ホームに向かい、自分の路線…南行に乗った。

＊

　同日午後。言った通りに、中央本線が、東海の東京支社を訪ねてきた。
「…おや、中央。珍しいな」
　予想通り、そこに東海道上官の姿を見つけ、中央はほほえんだ。東海道新幹線の方も、顔を知らない訳ではないから、挨拶をする。
「ちょっと、Jrに用事があるんですが、よろしいですか？」
　にこやかな表情のまま、中央が言う。東海道本線は少し睨んでみたが、勿論中央は無視をした。
「東海道、大丈夫だ。在来同士の話しもあるだろう？良かったら、応接室にでも…」
「そうですね。では兄さん、すこし席を外しますね」
　兄を心配させたくないJrは、中央を伴って部屋を出ていった。

「君は、お兄さんの前では、随分優しい表情になるんだねぇ」
「用件は何だ？」
　戦前からの彼を知っている中央は、しみじみと言う。同じ本線同士、自分はまだ、彼の色々な顔を知っている方だ。それでも、この国の鉄道の始祖“東海道本線”としての、彼の重責が、大概厳しい表情にならざるを得ないのも、知っている。
「問題が起こってるのは、東海本社？……じゃないよね。東海道上官に、何があるんだい？」
「何を知っている？」
　慎重に、言葉を選んで、Jrは聞く。最も、こう言うことに、自分が向いてないのも、解ってはいたが。
「何も。君たちが、こそこそと何かをしているって事だけだよ」
「君の所の…元優等列車は、今、どうしてる？」
「優等…ああ…彼らは…」
　はぐらかすようなJrの言葉にも、中央は文句を言わず答えた。彼が、意味もなくこんな事を言い出さないのは知っている。つまり、東海道本線を走っていた、優等列車に関するもめ事か。
「結構引退したからね。引退した優等列車には、僕も、最近はあまり、連絡してないなぁ。でも…」
「……そうか。お前の所はまだ、ウチよりは、走っていたな」
「君の所を、走っていた連中は…」
　東海道本線は、この国の大動脈だ。走っていた列車の本数も、何もかもが一番。ただ、新幹線が走り出してから、随分と扱いは軽くなってしまったし、国鉄が分割されてから、東海において、一段と冷遇されている気がする。まあ、東海の経営基盤は、新幹線だ。それは致し方のないこと。
「俺の所から引退した後、山陽本線を走るようになって…それから…」
　何かを思い出すように、東海道は一瞬黙った。
「山陽上官が走るようになって、ほとんど引退…だったな」
　言いながら、中央も自分の路線に思いを馳せた。中央新幹線と言う話が出てから、かなり経つ。が、未だに建設される気配はない。自分と似たような場所を走る信越本線の方が、整備新幹線に関しては、実現が近い。彼らも、自分の所に新幹線が走れば、色々変わっていくのだろう。東北本線のように、分断されるかもしれない。

「君の所の、元優等列車が何をしてるんだい？」
「…それが解れば、苦労はしない。そっちは、何か聞いてないか？」
「何か…？」
「……騒動を起こす…とか」
「……騒動？」
　予想外の台詞に、中央は東海道をしげしげと見た。
「い、いや…その…」
「そんな事…僕は許さない」
　今度は、東海道が中央を見る番だった。
「自分の所を走っている列車に、好き勝手はさせない。東北本線だって、その筈だ」
「…何で、そこで東北の名前がでてくる？」
　第一、先程の言い様は、自分に対する当てつけか。戦後の、優等列車全盛の頃の、東海道線の力関係を、中央は知っていた筈だ。
「朝、京浜東北と話してたよ。君の差し金だろう？」
　見られたのか。慎重な彼にしては、めずらしい。最も、話している所を見られたくらいでは、ここまでの推理は出来ない。昨日の今日だからなのだが。
「優等列車…に関する事だと言うなら、確かに東北も関係あるからねぇ。で、優等列車と東海道上官との…もめ事かい？成る程…」
　中央に手伝ってもらおうと、一時は思ったが、どうもこれは様子が違う。そう考える東海道をよそに、中央は話を続ける。
「そうか。君のお兄さんは…元東海道の優等列車だったね。昔の仲間に恨まれたかい？それとも、そんな個人的な事ではなく……」
　にやりと、中央は笑った。
「君がさっき言いたかったのは…クーデター…かい？」
　考えたくなかった事を、ズバリと言われて、東海道は厳しい顔になる。そして、一瞬目を閉じて、ゆっくり口を開いた。
「だとしたら、動きが遅すぎる。本気でそんな事をしでかすなら、兄貴を襲った時に、蜂起すべきだ」
「…ああ、上官襲われたんだ」
　一瞬驚いた顔をした中央だが、すぐに納得してそう切り返した。
「山陽上官が助けに入って、何とか大丈夫だったらしいが…どう思う？」
　Jrが“東海道本線”の顔になって、中央に聞く。そう、これこそがこの男本来の姿だ。兄の前では、形無しだが。
「まあ、クーデターとかじゃないね。例え、そいつにそのつもりがあっても、賛同者は限定的じゃないかな」
　こちらも“本線”の顔で、そう返した。武蔵野辺りが見ていたら、怖くて逃げ出しただろう。
「…やはり、襲った奴を捜し出さないとか…」
「見当は、付いてないの？」
「今、兄貴と探してるところだ。が、なかなか…ね」
「……やり方が、生ぬるいんじゃないの？こんな所で、リストでも見て探せると思ってるのなら…」
「…解っている。だが、警察に言う訳にも行かない。どうしろと…」
　不機嫌な東海道の表情を、意味ありげな笑みでやり過ごすと、中央は爆弾発言をする。
「東海道上官に…もう一度襲われてもらったら？」
　その言葉を言い終わるか終わらない内に、東海道の拳が飛ぶ。勿論、そんな事は予測していた中央は、さらりとそれを避けた。そして、逆に東海道の方に、自分の顔を近づけた。
「他にいい方法があるなら、やってみるといい。だけど、同じ“東海”所属として、この問題は見過ごせないんだよ」
　中央の言葉に、東海道はハっとなる。
　中央も怒っているのだ。それは、東海道上官が襲われたと言うことになのか、反乱を起こされた事になのか。

「まずは、引退して、官舎に居るような連中に、一旦招集をかけてみなよ。その時点で、連絡の取れない奴が、怪しい。それで駄目なら、噂でも流して、おびき寄せるしかないだろう？その時には、東海道上官には協力してもらうしかない」
「…兄貴を、巻き込みたく…ない」
言いながら、これはかなり有効な手段だと言うことも、解っていた。
　もしかしたら、あれで終わりかもしれない。それを、蒸し返し、罠を張るようなことを、兄が承知するだろうか。
「もし、決まったら教えて。僕も、微力ながら協力するよ。後、こっちでも少し調べてみるから…」
「あまり…派手には…」
「解ってるよ。これ以上知ってる者を、増やしたくないからね」
　それは、総武を巻き込みたくないと言うことかと、聞こうとして東海道はやめた。“本線”と呼ばれる者たちの重責を、中央も総武も、よく解っている。例え、昔ほどでないにしても。本当に必要なら、総武も口を出すだろう。その時まで、中央が責任を持つなら、それでいい。
「じゃあ、これで。僕はこのまま、東海に向かおうかな」
「……そうだな」
　確かにありがたい。向こうでの調査もし、今疑惑を持っている東北本線と、顔を合わせないようにしてくれると言うことだ。中央がヘマをするとは思えないが、リスクは少ない方が良い。
　中央を扉まで送り、東海道は兄の所に戻った。

「…あれ？兄貴は…」
　フロアに戻った東海道は、兄の姿が見えないのに、不安を覚える。しかも、先程まで兄が処理していた書類は、全て完了して、きちんと積み上げられていた。
「先程、捜し物があると仰られて…」
「…出てったのか？」
「…はい」
　聞かれた職員は、素直に答えたが、東海道本線の表情に、まずかったのかと、心配な顔になる。
「…どこに行ったのかは、解らないか？」
　気が付いた東海道は、怒った表情を納め、聞いてみたが、勿論芳しい返事は返ってこなかった。
「兄貴…まさか…」
　自分が中央と話をしている間、兄が席を離れたかを聞けば、数分戻ってこなかった時があるという。その時に、自分達の話を聞いていたのか。
「くそっ。世話の焼ける…」
　東海道は急いで、大阪に電話をかけた。

今度は、在来（本線）ばかりで…（以下略

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